お産が怖い
夜中に鳴るお産の呼び出し電話が怖い
下がっていく胎児心拍を聞く恐怖
出血が止まらない恐怖
アプガースコア(生まれたての赤ちゃんの様子を数値化するもの)が一向に良くならない恐怖
死への恐怖
縮こまる心臓
なんでこうもお産がうまくいかない?
その時は本当にわからなかった。だけどオステオパシーの学びが深まってくるとその答えは明白でした。
うまくいかないお産はオキシトシンが出ない私の身体と心の投影でした。
私の潜在意識の現れでした。
これに気づいた時に心の中でたくさん謝りました。
これまで出会ったすべての女性に。こんな私でごめんなさい。
これから私は自分の在り方を見直します。だから許してほしい。
深く謝罪の気持ちが湧きました。
これが今私がやってる活動の原点です。
ここから全て始まりました。
始まりから年月が経ち、6年学んだオステオパシーカレッジを無事卒業し学位を取得。卒業して3年後にスタートさせたフェムケアニスト®︎養成講座は順調で、モデル実技のモデルにこられた妊婦さんはみなさんとっても満足してくださっています。福井県越前市にあるお産の家ささした助産所でお産を取り上げている私の母もいつも心強いと言ってくれ心の底から信頼してくれているのが伝わってきます。
だけどなかなか私の心は満たされない。
恐怖から始まった物語の完了を迎える気配がない。
というか私自身が、距離を置いていたお産と、命のために命をかける女性と、もう一度向き合わないとこの物語の完了は迎えられない事を自分でもわかっていました。
そしてその舞台はすでに用意されていました。
Natural birth support smile の織田涼子さんに1月後半出産予定日の方のお産を手伝って欲しいと言われたのは初めてお会いしたその日でした。
忘れもしない2023年7月31日。
耳を疑いました。この人何言ってんだ?!
私の事まだ何も知らないのに、、さてはやばめなぶっ飛んだ助産師?!
でも涼子さんは終始清々しい嘘偽りのない笑顔。
うーーーーんこの場はさらっと流してタイミングできちっとお断りしよう。そう思っていたのに、、、、涼子さんから聞くお産の話は私の知っているお産となんか根底から違くない?なんかお産のお手伝いってそんなにハードルの高い事じゃないように感じ出した自分もいる。いやいや待て待て騙されるな!(失礼)そんないろんな意味で大混乱中の私をスルーして「案ずるより産むが易しよ!」とキラキラの笑顔で去っていった涼子さんでした。
月日は流れ、予定日はどんどん近づいてくる。お断りのタイミングを自分の中で幾度となく逃し、どうなるか流れに身を任せているけどどっちに転ぶにしても必死に毎日を生きていた。オキシトシンを意識的に出し自分を心地よく感じる事ができるよう、自分の感情に注目する、腟ケア、チベット体操、食、睡眠、排泄、潜在意識のクリーニング。おかげで自分に向き合え、満たされた半年間でした。
第一子を予定日ピッタリに出産された妊婦さん。今回の出産も予定日の日かその次の日になりそう、、、と聞いていたので予定日の日の仕事を空け、前後の仕事はお産になったら変更させてもらうかもしれませんと1ヶ月前からお知らせしている自分がいて、、あぁいつの間にかしっかり覚悟はできているんだなぁと 思ったのでした。
過去の記憶はいつでも私を引きもどそうとします。できない言い訳はどこまでも出てきます。そしてやる理由は一つ。自分との信頼を取り戻したい。
フェムケアニスト養成講座2期生の冴子さんがインスタに挙げていた素敵な記事。
冴子さんのお産の完了の話。
「まだまだできたなぁ。息子に悪いことをしちゃったという気持ち。こんなことを思っているうちは安産を邪魔してしまいそうで、フェムケアニストとして妊婦さんにふれることなんてできないなぁと思った。」
そこからの冴子さんの行動、そしてその後どうやって
「愛しているよーってピカピカの自分で息子に伝えられるって、嬉しい。」
の境地までいったのかは冴子さんのインスタの投稿で読んでほしいです。
@saekoyam
次に授業で会った時の冴子さんの凛とした立ち姿、施術している姿は美しく、自信に満ちていてますます素敵でした。
そんな風に、冴子さんみたいに、私も自分との信頼を取り戻したい。だからこの用意された完璧な流れを断ち切らない。今までも流れはいつもそこにあったはずだけど、私はこのタイミングを自分で選んだのだと思う。その瞬間に立ち会うことを許されるのなら、そういうことだ。よし!
そしていよいよその日を迎えました。
長くなったので つづく。
写真は史上最強天然ポジティブエネルギーを振りまく涼子さん
につられて嬉しそうな笹下。だけど内心混乱中。
初めましての2023年7月31日